ラファエロ展

DSC_2091国立西洋美術館に観た。ルネサンスを代表する画家のひとりで、フィレンツェとローマで活躍した。ラファエロに影響を与えた画家と影響を受けた画家たちの作品に挟まれるようにしてラファエロの作品が展示されていた。

絵を観るのが好きなので楽しかったし、すばらしい作品がいくつもあったが、「エゼキエルの幻視」と「信仰」という作品が印象に残った。とくに後者は初めて接したのだが、聖杯をかかげるマリアがテンペラによって素朴に描かれており、ある種の敬虔を感じた。

それはそれとして、このような展示会に行っていつも思うのだが、作者と作品の説明を読むと、取り上げられていることは美術史というか絵画の技法の推移に関することのみが叙述されており、個々の作品の特徴や、背景となっている文化や信仰については言及がない。物足りなさを感じる。

先月、エル・グレコ展を観たが、そのことを強く感じた。そのとき、「キリスト教のことがわかないから、さっぱりね」と言って会場を後にする人に複数出会った。そうだろうなと思う、もう少し、作品に迫る説明があっても良いのではないか。技法だけが絵画ではないはずだ。

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松井秀喜は記録をすてて記憶に残る選手となった

国民栄誉賞を受けるために3日に帰国したと報じられた。

好きな選手だった。大リーグに行かなければ王貞治のホームラン記録を抜いていたのではないかと思う。しかし、大リーグに挑戦してそれ以上の賞賛を得た。記録よりも記憶に残る選手、とは同じ日に国民栄誉賞を受ける、松井の師匠・長嶋茂雄を評する言葉だが、松井は記録を捨てて記憶に残る選手となった。

ヤンキースでの最後のシーズン、ワールド・シリーズで受けたMVPはケガと戦う日々での出来事だっただけにいっそう感動的だった。それは、松井という選手の人間性が開花した瞬間でもあったと思う。

書こうか書くまいか、迷っていること

オリンピック誘致に関連してNYTインタビュー発言が問題になりました。いろいろなことを考えさせられます。わたしは牧師ですから、あの発言の背景となっている日本文化寛容論に着目します。日本の知識人と呼ばれる方々でも平気で口にする独りよがりです。

ところで、キリスト教には神学という批判的学が存在します。批判とは事柄の本質に迫るための一つの機能ですが、その神学を不可欠としているということが肝要です。そして、それは聖書の中に最初から見られます。たとえば、福音書に取り上げられているヘトロをはじめとする弟子たちへの批判記事です。あれを辺境のガラテヤという視点でエルサレム教会が批判されているのだということを言って話題になった聖書学者がいましたが、そんな浅薄なものではありません。神学的機能が働いているのです。いずれにせよ、その批判的学にもっと注目して良いと思います。

最初の問題にもどりますが、日本の知識人と呼ばれる方々にも神学に触れてもらいたいと思うのです。イスラムに対しても同様です。無批判に日本文化寛容論を誇る方々は国際的には通用しないでしょう。

それで、書こうか書くまいか迷っていることですが、アベノミクスについてなのです。なんだか飛躍した話だと感じられるかもしれませんが、もしそれが独りよがりの思想を背景としているとしたら厄介なことだなと思うのです。