毛づくろい

Twitterでフォローしている勝間さんのブログを書く理由です。「サル山のサルの毛づくろいのようなもの」は面白い。人間社会では「毛づくろい」が失われてしまって挨拶もしない社会になって、閉塞していないか、と考えさせられました。個人情報が知られないようと神経を使い、そうすることで個人を守らないといけないと思い込んでいる。殺伐とした社会に生きているのだから、と。「毛づくろい」などあり得ない。しかし、本当のところはそれを必要としているのではないだろうか。殺伐とした社会を助長していないか、少し考えて見なければならないと思う。

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目には目を、歯には歯を

死刑廃止論議をめぐるシンポジウムのようなことが行われたのでしょうか。ニュースに取り上げられていました。難しい問題ですね。それを支えるために整えなければならない多くのことがあるように思いますが、死刑廃止実現への努力をすることが大切ではないかと私は考えています。

それはさておき、そのニュースの中で「目には目を、歯には歯を」という言葉を耳にしました。死刑制度の根底にある精神を表現する言葉となっているのでしょうか。復讐を是認し、それを満足させるための言葉として、一般には受け取られているようです。

しかし、そうではありませんね。元々は、際限の無い、雪だるまのように膨れてゆく復讐と怒りの連鎖を止めるための法として、定められたものですね。ハムラビ法典しかり、旧約聖書しかりです。「目には目で、歯には歯で」というのが正しい翻訳のようです。イエスさまはこれを受けて「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」と言われました。私にはとうてい実行不可能なことですが、「目には目で、歯には歯で」という法が向かおうとしている方向を明確に示しておられます。

死刑制度の是非を問うとき、私たちがどのような倫理に立脚して社会を培おうとしているのか、そして、その土台となる宗教が良きもの(深みのあるもの)として存在しているかどうかが問われているように思われます。

TPPに思う、そして教会のこと

国会で強行採決がなされたというニュースが流れました。政治のことはよく分からないのですが、TPPのような(内容はよく吟味される必要があるでしょうが)経済圏が作られていくというのは、グローバル化した世界では必然かと思います。

好むと好まざるとに関わらず18世紀以降の世界はグローバル化が進み、今では身近にいろいろな国の人を見かけ、外国の商品に囲まれ、インターネットを通じて地球の裏側に住む人とも直接話ができます。人と物との行き来が自由になり、国家の壁は低くなってきています。そんな状況を目の前にして、関税の壁を高く築いていたらその国は競争に負けてしまいます。グローバル化に対応していく必要があります。一国だけのことではなく、小さな経済圏ができたとしても、それを囲む壁が強力であれば、いろいろと不都合が起こるでしょう。

グローバルな世界では、グローバル化というプロセスを不断にすすめていくことが肝要です。TPPは実現しそうもない状況ですが、二国間のことであれ、同様のいかなる経済圏構想も、そのプロセスの途中にある一里塚であるならば良いと思うのです。

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言葉、むずかしい道具

言葉は誤解されるもので、そのことを自覚して使わないといけなせん。

そんなこと今頃分かったのかと言われそうですが、改めて実感させられています。ことに日本語は曖昧なところがあるのではないかと思います。日本人の心情と結びついているのでしょう。

身近になぜか存在している「おばさん」が「ハッキリ言うことが大切ね」と時々仰せになります。が、日本語ははっきり言わないで大切なことを伝えるという特徴があり、それだけに、言葉に習熟することが求められます。

私の住んでいる浜松は、率直な物言いをする地域です。ときどき、ドキッとさせられる時もありますが、考えてみるとそれがグローバル・スタンダードです。他の地域で育った人は自覚して、慣れていかなければなりません。何年たっても難しい課題であるかも知れませんが。

私は性格的にいい加減なところがありますから、誤解されてもいいやとどこかで思っています。それだけに、他の人の言葉についてはできる限り好意的に解釈するようにしています。お人好しであることが大切なのかも知れません。「おばさん」は、そこで、「ハッキリ言うことが大切」と言うのですが・・・・

-ism

神学の分野で ism に対する警戒を唱えたのは K.Barth だと思う。それは、ややもすると絶対化、偶像化するからです。危機神学は -ism との戦いでもあったのだと思います。

若い時、同学年のバルティアンが、盛んに -ism に対する嫌悪を言葉に出していたのを思い出します。私たちは共に、その -ism を大切にする教派に属していましたので身近な問題でもありました。彼は今、某書店の社長をしています。

-ism に対して神経質になりすぎることも、それも一種の -ism ですから気をつけなければなりませんが、-ism に対して批判的な目を養うことは大切なことだと思います。

安保関連法案

法案を読んでみました。素人には法律を読むことは決して易しいことではありませんが、国連平和活動や国際平和活動で軍事的にも出来うる限りの積極的な関与を可能にし、アメリカ合衆国との軍事同盟においては役割の拡大をはかるというのが関連法案の主旨だということが分りました。

安保法制を整えるというのは政治の責任ですが、関連法案は解釈と適用・運用次第では憲法違反になると思います。ですから、関連法案自体が憲法違反であるということもできましょう。ただ、解釈と適用・運用が憲法違反にならないようにしている、ならないようにするというのが政府の主張のようですね。

その意味では、関連法案によってただちに憲法が無力となってしまうということにはならないのだと思います。まして、関連法案が憲法の上に立つことはあり得ませんから(あってはなりません)、憲法が関連法案の解釈と適用・運用に歯止めとして存在しているということになるかと思います。

法案が戦争をするわけではありません、国際状況と政策如何によります。その状況が何を強いるか、そして、それに政策的にどのように対応するのかが課題となります。平和を希求しつつ、腰を据えた議論が大切だと思います。